2005/05/31  プレゼン、CD3、そしてラーメン

 来週の会議でこれまでの理解度とプレゼン能力が試されることとなった。心が震えた。チャンスだと思った。
 もともとプレゼンをするのは好きだ。センスあるレジメを作ったり、自然に目立てるなどというあからさまに自己顕示欲からくる邪まな要素もあるが、 他人にものをわかりやすく話すのが好きなことが結構大きい。とは言っても、今回は単に試されるだけのプレゼンなので自己顕示欲が表立っているが、 それとは別にやることが与えられるということは、今の状況からすればとてもうれしいことで、それだけにしっかり作りこんでいこうと思う。パワーポイントも イラストレーターで素材から作ってみてもいいかもしれない。そのあたりの能力があることはアピールしておいて損はないと思うのだ。それに加え、 これまでの理解力。もともとオタクな性格から興味があったということを外しても、頭が痛くなるくらい毎日勉強してるだけに成果は認められたい。
 昨日ERを観てたら、たまたまアフリカが舞台でHIVポジティブの患者の検査に対し、カーターが「CD3は順調だよ」みたいなことを言っていた。 このCDなんとかというのは何番まであるのか知らないがいくつもある。役割も私はよく知らないが、血液学を学んでいてテキストのどこに書いてあったか がすぐに思い出せたことに、ちょっぴり報われた感覚を感じ、うれしくなった。テキストも不親切なもので、こういう言葉を常識的に使っているため、 知らない人からしたら暗号を読んでいるようなものだが、調べてみると、CD3とはどうやらリンパ球の膜にある蛋白質らしい。深すぎてまだ理解できないが、 そのうちここら辺まで乗り込んできてやろうと思っている。血液オタクを目指すのだ!…便宜上血液オタクと言ったが、免疫や生化学も結構おもしろいかも(^^;;
 最近ラーメンをよく食べる。水道橋のラクーアの中に一蘭という有名な博多とんこつラーメンの店がある。店の中を一席一席仕切るいかにもな店のつくりが 一人でいることも好きになってきた私の性に合ったりもするが、やはり味がよい。小麦の味がする力強い細めんにクリーミーなスープがよくからむ。このクリーミーというのは 私の大きな好物要素であるのだ。クリームシチュー、チーズケーキ、ヨーグルト、ミルクキャラメル、ホワイトチョコレート、雪の宿…。雪の宿は甘しょっぱいおせんべいで あるが好きなものは好きだ。これまでこの手のラーメンだと無敵屋、屯ちん(「ちん」ってどう書くんだっけ(^^;;)、ばんからといった店で食べていたが(全て池袋)、 バランスとしては上回る味かもしれない。いつもなら辛いタレをたっぷり入れた方が好きだが、クリーミーさに欠けてしまう気がするので、辛いのは入れない。
 しかし今日食べたのは全国どこにでもある天下一品である。これもまた、とろりとしたスープ(って言うのか!?笑)が好きだ。かなりの確率で麺がのびている 気がするのと、あそこの青ねぎは若干苦手だったりするが、それでも通うのはあのスープのせいだ。こってり、まろやか。このまろやかというのも好物要素だが、 ここでは触れないでおくことにする。
 こういった上品な味とは別の楽しみの店もある。池袋なら十六、それ以外なら二郎だ。いずれも極めて体に悪そうな味がする。しょっぱいし、油はねっとり、 そして量がやたら多い。特に二郎はなんとも怪しげな白い粉をおおさじでぶっかけて(「魔法の粉」と呼ぶらしい)、醤油を並々と注ぎ込み、油は塊となってふよふよ 浮いている。絶対体に悪いと思う。しかし、そういう旨さなのだ。研修で1ヶ月も食べないでいると夢にも出るほど食べたくなるという、まさしく白い粉中毒。 私がラーメン屋をやるなら、絶対こっちだ。中毒になれば客のリターン率は100パーセントじゃないか!
 一発芸、募集中。

2005/05/30  一発芸。

 ついに恐れていたことが現実のものとなる、ことになった。まだ時間はあるのだが、顧客の皆サマとの懇親会の前で一発芸。営業に就くからには、 と覚悟しないでもなかったが、本当にやることになるとは…。
 とりあえず、今日の帰りの電車の中で考えてみる。私のまだ得意と言えそうなジャンルは、内輪ネタかシュールなネタだろうが、この場合だと 両方ともダメな気がする。と言うか、ダメだ。まだ担当顧客を持っていない私だが、やがてはその地域の担当になるのだ。好印象とまでは行かなくとも、 悪印象にしたくはない。品がないのもダメだ。サークルのスタンツとはワケが違うのだ。まぁスタンツは知り合い100人が観ているから、それに比べれば 顧客50人の前なんて、規模自体はたいしたことじゃない。しかし、ここで営業のステップが決まるような気がするのは私だけだろうか。おそらく営業所内での 私の立場も微妙に左右されるのではないだろうか。…。
 えー、横浜営業所のワカマツタカシです。CBC8項目、行きます!赤血球!白血球!血小板!ヘモグロビン!…ヘマトクリット!…うー、平均赤血球容積! ……平均、平均………、…。(うつむく)…ものの〜け〜たち〜だけ〜〜〜♪(合唱顔芸)
 ダメだ、絶対ウケない…。うーん。
 タカシです…。医療機器で社会に貢献しようと思ってはるばる入社したのに、こんなことばさせられてるとです…。営業所でもここぞとばかりに放置プレイ されてるとです…。あ、電話鳴ってるとです。内線出なきゃいかんとです…。よし、出よう!と気合入れたら、いつももう誰かが出てしまってるとです…。 その後の空気がまた気まずいとです…。事務のおねぇさんの視線が怖かとです…。それも一種の放置プレイとです…。…でも、本当は、本当は…! …ちょっと気持ちよかったとです。
 もう寝よ…。…。…。あー、どうしよ〜。

2005/05/29  寝っころがって職について考える

 もうすぐ神戸での研修から営業所に配属されて1ヶ月になるが、なんだかんだでいろいろ疲れるのか、土日のどちらかは寝てばかりの日になっている。 とてもじゃないが、だるくて何も出来ないし、ここで休まなかったら恐らく次の1週間もたない。今のところ仕事が大変とか勉強が大変とかは思わなく、 むしろProject GO!の方が大変だったくらいだが、週5回きっちりやること自体は体力・精神力共に結構やられてしまう。まぁ間を縫って友人たちと歌ったり、 飲んだりしているのも原因のひとつな気もするが、それはそれで心持ちが元気になれるので、大切な存在だ。
 明日からまた5日間仕事かと思うと、正直だるいなぁとも思うけれども、以前のスーパー銭湯でのバイトに比べたらだいぶマシである。もう時効になったから、 と言うか、ついにスーパー銭湯のバイト先で私のサイトを知り得た人はいなかったので書いてしまうが、あのバイトは本当になじめなかった。よく半年もやれた と心から思う。もちろん合唱やらなにやらですでに疲れた状態で深夜のバイトに行く私もミスが目立って悪いっちゃ悪いと思うが、やはりノリが合わないのだと、 それはどうしようもないのだと思わざるを得ない、そんなバイト先だった。笑顔と声は絶やさずに、仕事は出来るだけ吸収しようとがんばっていたつもりだが、 結果的には誰一人として友達もいなく、それでも大丈夫風な自分を装っていたが、その実まったくダメだった。バイトに行くことを思うと、本当に気分は滅入っていた。 怒られても平気と言えば平気だったが、それも慣れるわけはないので、また普段使っている思考からすれば体育会系ノリの新鮮な理屈でもって成り立っていて、 悪気はないのにズレたことばかりしてしまうので、3ヶ月もすればかなり気まずい状況と言え、果てには「こいつらは金だ」と思うことでしかやり遂げることが出来なかった。 それで月に5〜8万稼いでも合唱に消えていく金ではあり、そのこと自体はとっくに諦めていたので特に何も感じなくなっていたが、今から思いかえすと、 そんな生活は二度としたくない。
 結局のところ、大規模小売店とか飲食店とか、あるいはおそらく工場の類、そういった職場は私には合わないのだろう。そのバイト先はうちのマンションの隣 なので、今でも見るたびに心の傷がうごめく。

2005/05/28  死

 研修でだいぶ疲れていたのは確かだ。慣れぬ理系の学問に頭もかなり疲れるが、昨日は機器の実習であったため一日中立ちっぱなしで、終わった時には ぐったりした。とはいえせっかくの私のための歓迎会を開いてくれるので、東京から横浜にある営業所まで戻り、飲み会に参加した。そこまで飲んだという ほどの量でもなかったが(ビールジョッキ2杯と焼酎の水割り1杯)、その酔いが全身に回ってからはかつてなくヤバイ状況になった。 二次会のカラオケが私にとってはメインイベントだったので、移動して1曲歌ってからは、体を刺激してしまったせいか、本当に青ざめた酔い方だった。
 そこから2時間、トイレにこもりっぱなしである。吐き気は襲ってくるが、いまいち吐ききることも出来ず、もたれていて少しは収まったかと思って立つと、再び 吐き気と全身のだるさからやり直し…。一番ピークだった22:30頃には、呼吸も怪しくなってきて、まさに虫の息ぐらいの呼吸量だったと思うが、 本当に死が頭をかすめた。今までのことを思い返したりはしなかったが、絵描きとしてまだ為してないことがあるなぁと思ったぐらいで、むしろ死んでもいいかァと 思えたのは、自分でも意外だった。突然死とかでなければ案外死ぬときの心境とは、よほどのことがなければそんなものなのかもしれない。
 いやいや冗談じゃねぇぞ、と思ったのはそれからすぐだった。気持ちが落ち着いてしまうと本当にそうなってしまう気がしたのだった。そう、ある種の気持ちよさが そこにはあった。あの世があるかはわからないが、久々に布団に横になった感覚と似ていたかもしれない。今、それを受け入れることは、理屈にはない、 間違いを感じた。まだ力を出し切っていない、生ききっていないと思った。
 それから30分くらいして、顔は真っ白だったが、歩けるぐらいまでに体調は復活した。先輩のうちに泊まらせてもらえることとなり、上司にはかばんをもってもらい、 なんだか申し訳なかったが、センスはより鋭敏に、より柔軟に増したように思う。作品を描くなら、だれよりも自分が後悔しないものを描きたい。世間とは関係ない。 細部まで満足しきったものを毎回制作したい。このとき身をもって感じさせたことを、忘れずに描いていきたい。私のアイデンティティの原点は、 やはり絵にあるのである。

2005/05/25  悲しくないことが、かなしい。

 人はどれだけ人を傷つけて生きているんだろう。こんなに色々な人を傷つけて生きていいものなのだろうか。それに向き合わずに逃げ慣れてしまって いることに自己嫌悪する。都合の良い理屈で自分に鉄の壁を敷く癖に自己嫌悪する。軽々しくモノを言って憚らないことに自己嫌悪する。
 いつ真面目さを失ってしまったのだろう。いつから調子に乗っていたのだろう。
 以前は目を見て話せなかった。目を見て話をするものだと聞いて、必死に練習した。目を見て話すことがきちんと相手と話していることなのが常識だと すれば、私の場合、相手がそう思うからこそ、技術的にやっていたに過ぎない。技術的なのはこのことに限らない。私はいつも、よく見られるように計算して、 またどう見られているかを補正して、新たな技術を考える。生じっか計算は結構当たる。ちょっとした見栄のはずなのに、いつしかだいぶ見栄だらけに なっている自分に気づく。見栄は人を追い込む。初めはそうだった。有言実行するだけの徹底さがあった。徹底的でないと、見栄は見栄として認識されるからだ。 それも技術になると、本当に見栄になる。そうしたら、だれの目にも見栄だとわかる。そういう人間なのだ、結局のところ…。
 根っこにあるのは、照れだと思う。今でも技術がなくては、目を見て話せないのだ、本当は。その証拠に相手の目を見ると、相手の話に対する私の理解力は かなり落ちる。人に見られていると、普段当たり前に出来ることも出来なくなる。だけどそれを隠す術を知った。あけっぴろげに見えて、その実、 何も本質を出さないことだ。あけっぴろげに見えるのは、いわば囮である。言い換えれば、そう見えることを計算している。
 私はおしゃべりである。気を許した相手には、実はかなりおしゃべりである。照れないで済む相手には、内弁慶であるのだ。思い返せばサークルで 後輩にはあまり好かれなかった。私自身は年下の方が相手をするのが得意だと思っていた。それはこのあたりから来るのではないだろうか。 全て周りから見れば、見えていることなのだ。私が隠しているつもりになっているだけなのだ。
 プレゼンは実は苦手じゃない。むしろ得意だ。それはプレゼンは基本的には一方通行だからではないだろうか。こっちが出し物を用意して、それを以って、聞き手を 指定の時間楽しませればよい。相手の目を見る必要はない。相手と話すこともない。ただ、私主演の劇を見せるだけだ。ネタを考えるのは絵を描くのと 感覚的には変わらず、照れとは別次元の頭脳だ。和ませるためのギャグもクリエィティブな部分だから、ちゃんと考える。
 いつも真の友達と言えるような人はいただろうか。友達はいっぱいいるが、彼らも友達だと思っているかはひょっとしたら疑問である。仮にランキングを友達に してもらったら、だれもが中位くらいに入れるのではないだろうか。本質を隠したがる私の本質を知る人などいるわけないので、何を考えているかわからない 謎の人なのだ。
 ここまでハッキリ自覚してはいなかったが、これまでもちょっとずつ終わりにしたいと思ってきた。技術も技術魂が100%なわけでもない。そこには 本当に自分の殻を脱している部分もちょっとだけあるように思う。それは客観的に友人関係を見たらわかることだ。友人関係の質はもっと昔よりは世間一般で言う 友人という関係にわずかに近づいているように思う。罪をつぐなうことは、ひいては新たな道を作ることなのかもしれない。
 日ごろ、自分のことにこれだけの頭を使っていれば、他人を見て、あるいは状況把握で私の認識が的を射るのもわかる。こじれきった自分のことより、 易しい問題ばかりなのだ…。

2005/05/24  やっぱりメタル!?

 一人カラオケを生活に組み込んでから、毎回同じような曲を歌うのでマンネリ化を防ぐためにツタヤでCDを借りてみるが、どうもしっくりこない。 それもそのはずで、よくよく考えてみれば中学生の終わりくらいから、私のポップス歴は止まっている。もちろん探せば好きな曲もあるのかもしれないが、 多くのものはあまり好みでなかったのだ。
 その頃は流行に先行する形で、のちに癒し系と呼ばれるオムニバスに収録されるようなアーティストの曲を片っ端から聴いていた。 久石譲、葉加瀬太郎(Krizler & Kompanyも)、坂本龍一、マイケル・ナイマン、エニグマ、アディエマス、クリスティーナ&ローラ、加古隆…etc。 彼らの音楽はろくに音楽を知らなかった私を酔わすのに十分な音楽的な深みと魅力、そして聴きやすさを持っているように思われた。 別に癒されたかったわけではない。それらはそれまで聴いていたThe Alfee(それもまたマイナー(?)な話ではあるが)を初めとするポップスを聴く行為の 代わりを十分に果たし、ひたすら聴いていた。時には、他人よりもちょっと高度なものを聴いている気がして酔っていた側面もあるかもしれない。
 大学で合唱を始めると、そのジャンルは見事に合唱に移行した。ほとんど違和感がなかった。最初は木下牧子と多田武彦、合唱に慣れてくると、 荻久保和明、鈴木憲夫、なぜかコダーイ・ゾルターン…etc。その時々ちょこっとハマったものをあげていけばキリがないが、毎年10回以上行かなければならない 演奏会周りのおかげで、曲目で選べばあまり困ることもなかったかもしれない。もちろんCDは手に入らないが。
 大学の最後にProject GO!によって、バーバーショップとミュージカルの魅力に触れた私はジャンル的にはポップスに帰ってきているように自分では感じたが、 どうもしっくり来るものがなかなか見つからない。
 私とメタルの出会いは全くの偶然だった。ノリだったので詳細はよく覚えていないが、確か後輩に何か買ってあげるために何がほしいか聞いていたときのことだった。 海外のメタルバンドのCDを所望されたのだった。ただからかうために「おれが気にいる内容だったらいいよ」とかなんとか言ってANGRAというバンドのNOVA ERAという曲を MP3で試聴したのが、強烈な衝撃を与えた。単に激しくうるさいだけかと思っていたらとんでもない話で、曲の作りは厚みと深みがあり、 メロディアスだったりもすれば、とにかくボーカルもギターもドラムもその他何もかも技術水準がやたら高い。クラシックが現代に続いている感覚を味わった。 一口にメタルと言ってもその中にジャンルは多く、そのどれもというわけではないが、今では元オペラ歌手がメタルのボーカルをやっていたり、 オーケストラを組み込むなんてのも珍しくない。もちろんコーラスも珍しくない。プログレッシブ・ロック的な気持ちいい変拍子、転調も見られるし、大曲と言えそうな 曲も多い。一気にハマりこんでしまったのだった。もちろん後輩にはCDを買ってあげた。
 今、通勤時間が片道1〜1.5時間はある。余裕のあるときは勉強しているが、疲れているときは音楽を聴いている。今、またメタル旋風が巻き起こり始めている。 社会人の財力でツタヤにないCDも買えてしまう。あまりカラオケにないのが残念ではあるが、彼らの技術を模倣して、オペラ的でポップス的な歌い方を 覚えてみるのもまた楽しそうだ。そうしてそのうちきっと営業車の中でビブラート全開で叫んでいるに違いない。

2005/05/22  交響曲

 昨日のこととなるが、友人たちのオーケストラの定期演奏会に行ってきた。友人たちと言ってもほんの数人しか知らないのだが、 音楽が始まってしまえば、その世界と現実世界の間にあまり関係はない。よく演奏面やそうでない面まで「突っ込みどころ」を探していたりする人がいるが、 私にはそれは全く出来ない。不器用なのだ。
 特に印象に残ったのがベートーベンの交響曲第3番「英雄」である。かなり難しいと聞いていたので、どんな演奏なのかやや心配ではあったが、 思ったよりだいぶ良かったので、交響曲を楽しむことが出来た。私はクラシックにあまり精通しているわけではないが、オーケストラのコンサートに 来るといつも思うのが、意味はよくわからないけれど、1時間とかある交響曲でもつまらない瞬間なんてなく、あっという間に終わってしまうことだ。 私は合唱に親しんできたが、合唱のコンサートは残念ながら退屈なことが多い。どんなに上手くても、聞いててのめりこめるか、と言ったら、 そうでもない曲が多い気がする。構成の密度の差なのだろうか。合唱だとアカペラかせいぜいピアノ伴奏が主であるから、そこにアンサンブルで 動くパート数の差はあるが、私にはそこらへんはよくわからない。ただ、クラシック音楽でも合唱はマイナーな存在に入ることは、聞き手の感覚でも 理解できるかもしれない。
 もうひとつ思ったのが、音楽は非常に抽象的な存在であるということである。普段は合唱をしているから、ある程度歌詞が状況を説明してくれる。これがまた 曲者と言えば曲者で、表面上の言葉の意味にとらわれて本質を見失いがちなのだが、それは別として、とりあえず表現として歌詞に頼っている部分も またあるように思われる。オーケストラだとそうはいかず、全てを音のみで表現する。ひょっとしたら先ほどの答えは音楽的な純度の高さかもしれない。 美術だと抽象的な表現というのは、得てして鑑賞側と作り手の間に壁を生んでしまうこともよくあるのだが、音楽はあれほど抽象的な塊のような存在なのに、 広く一般に受け入れられる。そこには視覚と聴覚の本質的な違いが原点にあるのかもしれないが、同じアートとして捉えると、音楽の極めて抽象的な表現は 私にとってとても新鮮であり、興味深い。色々な想像、妄想をかきたてられるし、何より抽象的な時間が1時間も与えられたとしても、全く退屈ではない。 かといって、普段たとえば電車の中で聴こうともあまり思わないのだが、それは役割の違いだろうか。電車の中でそこまでの役割を音楽に求めていないのかも しれない。
 ベートーベンは初めて音楽をBGMではなく、芸術として位置づけたという。そのいわば初代芸術家がこれほどまでの魅力と深みを出して、 今なお世界各地で演奏され続けていることに、今さらながら、敬意を表する。

2005/05/21  穏やかな想い

 今日はいろいろやりたいことがあったが、寝過ごすことによって、全くあっさりと計画は水泡に帰した。その代わりに絵を描いた。 今日は友人たちのオーケストラの定期演奏会なのだ。差し入れに絵を描こうと思ったのだ。結果的には失敗したりして1枚しか描けなかったのだが…。
 しかし、今日の私の画力は落ち着いた、かなり良い状態にあった。こんなにも繊細な絵が描けたのかと、描きあがってから思った。
 きっかけは何でもかまわないから、絵を描く以上はやさしい気持ちを大事にしたい。落ち着いた精神は、絵には欠かせないと思う。昨日も書いたが、 絵は何かと比較するものでもない。自分の美を素直に追求することであればこそ、生涯を通じて描く意味が生まれ、そこには、 特にアカデミックな教育を受けていない私の、唯一絶対の価値観がある。すぐ忘れがちになって、ものすごい絵を描いてやろうという想いがそれを邪魔するが、 それでは自己満足を抜け出せない絵になってしまうことが多い(これに気づいたことこそ、個展で得た一番大きなことだ)。 描いた絵が自己満足かどうかはその過程とは無関係で、その絵が観られた時に決まるとは思うが、追求の仕方が純粋かそうでないかは、 私の場合だと結果に大いに結びついてしまう。描き手である私にとって自己満足かそうでないかなどどうでもよいことであるものの、 結果的に自己満足になっているとしたら、それは不本意ではある。ただ、素直になれば、自己満足にはならないことを経験では知っている。 私自身のセンスは別に間違っていない。写真を撮ることがそれを裏付けてくれることが多い。 そして、私は写真よりも絵が上回れることを自分ではわかっている。たとえ、今は写真の方が良いとしても…。
 今は、さくら散る幻想をゆっくり描いていきたい。

2005/05/20  私に出来ること

 今朝起きてから、今日という日は心持ちが異なっていた。心が明るく、前向きで、気分が良かったのだ。いくらでも何でもしてやろうと思えた。 今日一日ははっきりとモノを言おう。腹を使って大きな通る声を出そう。失敗を恐れずにいこう。
 思えばこんな気分は久しぶりだ。仕事を自己実現の場として初めて捉えようとしたとも言い換えられるかもしれない。
 大学ではどの場所でも本気だったように思う。合唱は言うまでもなく、美術もゼミでも、例え時間は少なくともそのときそのときは必死だった。 それゆえに多くの過ちも犯し、かなり気まずい目にも遭い、それらは今でも苦く思い出されるが、それはどっちかって言うと「若さ故の過ち」の類だと思う。 柔軟性に欠ける地に足の着かない理想主義と徹底主義、他人への押し付け…。大学の最後の年には合唱しかしていないが、人間関係は広がり続け、 その絶好の機会に「若さ」からの脱皮を意識して行った。原点となる想いはもちろん若くていいのだが(笑)、それと方法論は別次元にあり、 どんな道筋をたどろうともきちんと結果に辿れることを常に見据えておくこと、そのためには否定的で硬直的な方法よりは柔軟に包み込むことこそが 有効であることを、私という人間の中では一般論であることを身を以って学んだ。
 私が成長するためには、サラリーマンとしてさらにもがくことが重要に思えたし、おそらくは世間一般論であるように、 それが絵描きとしての自分を捨てることにはならないと思っていた。しかし、ふたを開けて1ヶ月強。本当に自分が自分でいられるだろうか。 自分とは本当に自分が思っているようなアイデンティティの持ち主なのだろうか。他人とは違うことを思い描いて酔っているだけなのではないだろうか。 そしてサラリーマンとなった以上、仕事上の価値観と私自身の価値観は別次元にある。私の価値観は通用するのだろうか。 仕事の価値観に押しつぶされてしまうのではないだろうか。つまりは単なるサラリーマンこそが私そのものなのではないだろうか。
 そういう恐れだったのだと思う。まったくきっかけもないのだが、今、そういう恐れは消えている。私は私の仕事を追及するし、私の絵を追求する。 偉大なサラリーマンと自分を比較する必要もないし、偉大な画家と比較する必要もない。当たり前のようだが、特に偉大な画家といつも比べてしまって、 視野が狭くなる、ひいては絵が素直でなくなる、純粋に自分の美を追及しなくなるのは、これまでの私の悪い癖だ。
 私は私らしく、がんばろう。前を見て、胸を張って、大きな声を出そう。不器用な私にとって、全てはそこからだ。

2005/05/19  さくら散る

 さくら散る。
 過去と未来の
 狭間にて。

 さくら散る。
 私のことを、
 見透かすように。

 さくら散る。
 見えた未来が、
 見えなくなって。

 さくら散る。
 せめて今、
 夢を。

2005/05/18  鬱。

 昨日はかなり鬱な気分に落ち込んだ。夕方までは良かった。久々にOJT的な仕事、つまりは営業先へ上司との同行訪問をして5、6箇所も回れて、 名刺を渡したり、ちょっとした宣伝をチラシとともにやらせてもらったりして、たまに意地悪なお客様がいてタジタジしたりしたものの、むしろ気分は良かった。 落ち込んだのは、電話取次ぎがイマイチできなかったことである。特に注意されたわけでもなく、新入社員ではよく聞く話といえばよく聞く話なので、 私もご他聞に漏れず、といったところなのだろうか。
 飲食店系のアルバイトをやっていたので、仕事で電話に出ることにそれほど抵抗があるわけではない。しかし、それが今になって妙に出来ないのは、 まだ誰が誰だかいまいちわからないとか、知らない専門用語が聞き取りにくいとかそういった明らかな原因ももちろんあるだろうが、それよりも私自身、 会社の営業所にいるということに対して、全く警戒を解いていないということに大きなそもそもの原因があるように思う。一言で言えば「慣れていない」で 済むようなことだが、この神経の張り詰め具合はかなりのストレス源だ。とは言っても、普通に考えるストレスというよりはむしろ私自身から来るストレスで、 主な症状としては、必要なものではあるが徹底的に勉強をしすぎるとか、全く無駄なところに気を使いすぎるとか、ちょっと変わったところに現れる。 つまりは見栄に近いものがあろう。認めたくないことだが、自分をよく見せたいという欲求である。
 そこからすると「使えない自分」という状況はありえないのであり、それがさらに見栄に対する努力へのスパイラルを生む。昨日もいつものように電車の中で 勉強していたが、すでに書いたように精神的に弱っていたことから、これ以上この緊張状態を続けるのは危険に感じた。ウォークマンでバーバーショップを 聞こうと思ったが、あいにく電池が切れていたので、しょうがなく代わりに漫画を買ってみた。対症療法的ではあったが、やや落ち着いた。
 今日は一日出先での研修であり、それなりに同期との気楽なコミュニケーションが取れたので、特に深みにハマってしまうようなことはなかった。 まったく、自分でも自分が扱いづらい。いつも合唱をしているときのように自分がさらけ出せるような強さがほしい。絵を描くときの自信がほしい。 そうすれば当分無敵なのに。思い上がりかもしれないが、本気でそう思う。

2005/05/16  世界はゆがんでいる

 会社が終わってから、久しぶりに池袋へ行った。池袋は大学があったところであるから、つい最近まで4年間足しげく通ったところであり、 そこでは社会人という新たな環境に入った自分が、大学生だったころの自分と否応なく向き合うという、私にとってちょっと大切に光り続けている街である。
 同期の友人と役職が同じだった後輩たちと、馴染みの店で飲んだ。もっとも私は腸炎が治りかけであったからアルコールは控えたが、 そんなことはあまり関係なく楽しむことが出来た。思えば不思議なもので、その役職に就いたころは(演奏会マネージャーという)、 それまで彼らとそんなに接していなかったせいか、単なる仕事仲間くらいにしか思っていなかったのに、今では仕事仲間としてむしろ会いたいし、 いろいろな、しかしどうでもいいような話をしたい。別れ際はちょっと寂しい。
 私は演マネに対してそんなにやる気だったことは、印刷物関連を除くと、残念ながらあまりなかった気がするが、演マネでよかったと思う。 ステージの上で学んだことは少なくなく、それはプロゴーにも活かされたし、おそらく人間の仕事の仕方の雰囲気を学んだように思う。 感情と理屈の両面から物事を考える思考回路が身についたように思う。それは事を成し遂げる上で恐らく欠かせないものだ。 とかく理論だけ正しくても、残念ながらそのように物事は運ばないのである。感情という全くもって理不尽なものこそが世界を動かしている。
 明日も会社だ。なかなか職場に慣れず、月曜から飲んでる場合じゃないが、明日もがんばろう。

2005/05/15  虹の出た日

 今日も体調自体は良くないようで、おかゆ嫌いの私はお茶漬けばかり食べていた。よく噛めば効果はおかゆと同じだろうと。腸は痛むが、 このような食生活だと、体に悪いものの味が恋しくなる。完調したら、一人ででも次郎を食べに行こう。魔法の粉が最も強いと思われる 三田本店に行きたいところだが、昼間しかやっておらず昼間なんてそうそう行くことはできない。しょうがないから、たまには仙川の次郎で食べてみよう。 早く治れ!
 フォトショップとイラストレーターを買った。文章に書くとたった一文のことであるが、出費はとてつもなく、初任給がなければ買えたものではない。 それでも怪しげなコピー版から足を洗ったのはかなり気分が良く、また動作の怪しげだったイラストレーターから解放されて、今後の制作活動が楽しみだ。
 そろそろ一人カラオケに行かないと、ノドが退化し始める予感がするが、昨日の断食の効果か、力がろくに出ない。次の練習が怖い…。
 「さくら散る」を描いてみるが、いつものことながら、描きはじめというのはうまくいかないものだ。本当に最後まで描き切れるのか自信がなくなるが、 それもいつものこと。時間をかけて地道にがんばれば、ある時ふっといい方向に転がっていく。落ち着いて、落ち着いて…。
 髪を切りに行った。思えば美容院に入っても緊張しなくなったものだ。1年ほど前はどう注文してよいのかすらも自信がなく、嫌な汗をかいたものである。 ちょうど髪を切り終わって、シャワーを当ててもらっているころ、雷とともに大雨が降ってきた。美容師のお姉さんが話しかけて教えてくれた。 ほとんど唯一の世間会話だった。大雨が降った後、すっと空が明るくなり、大きな虹が半円を描いていた。両端を地につけた見事な半円だった。

2005/05/14  ウィルス性腸炎

 何もしないでいるとこの腸痛はまったく治る気配がないので、今朝医者に行ってきた。近所ではあったが初めて行くところであり、ヤブかどうか、 緊張とある種の期待感もあった。
 おじさんとおじいさんの間な感じの先生だったが、目つきはしっかりしていた。説明はわかりやすくモノをはっきり言うタイプだ。 当分精神は衰えないに違いないが、それだけでは情報が足りず、いい医者かどうかの判断はまだできない。とりあえず今日を限って言えば、 いい医者だったと思う。
 「今日は水だけにして何も食べないでください」。衝撃だった。実は結構大食いで食事好きな私が、飯を食べられないとは。ラーメン次郎よ、さらば。 「薬には「食後に」って書いてありますけど、消しておきますからね」…(爆)。だよねー、食事しないからいつまで経っても飲めないもんねー。 それにしてもこの人、なんか楽しそうだな(^^;;
 次郎好きな仲間には悪いけれど、今日の練習は休んでしまった。立ってるだけで腸は痛いので、とても歌えない。そしてちょっと昼寝のつもりが もう20時かと思うと、せっかくの休日はなんだったんだ、と思うようになったのは、社会人らしくなってきたのかもしれない。次郎、食べたい…。
 絵が描きたい。「さくら散る」の新しいバージョンでも制作してみようか。

2005/05/13  のだめ

 『のだめカンタービレ』の新刊が出ていたので、迷わず購入。相変わらずな腹痛(腸痛と言った方が正確かも)の中で、通勤電車に乗りたくはない。 せめて時間と痛みを忘れさせる何かがほしい。とか言い訳をしながら、毎日のように1冊買って帰っている。ちなみに昨日は『ヤング島耕作』だった。
 『のだめ』はこれほど話題になる直前に本屋で気が向いて買い集めたのだが、見た目のギャグ(?)とは裏腹にクラシック界をよく描けていると思う。 とは言っても、私は大学時に合唱団をやっていた程度で、ろくにクラシックを知らないのだが、合唱をやっていて垣間見えた独特の世界を舞台に、 普通じゃないキャラクターたちがギャーギャーしているこのマンガは、とても面白く、ちょっと悦に浸れてしまう。専門家(?)に言わせると、 「誇張はあるけど、音大ってあんな感じ」だそうで、意外に結構取材して描かれていることをしのばせる。
 大学時代は美術やゼミも含めていろいろやったが、結局のところ何よりも合唱に時間を費やしたので、ちょっとクラシックをかじった感触がまだ残っている。 思えば色々な先生に触れている。崇高な音楽学者、それっぽい元音大教授、職業合唱指揮者も何人か、サラリーマン指揮者もいたし、 テレビ等での音楽コーディネーターなんて方もいた。あまり人を尊敬したりはしない私だが(ほら、自分一番的な性格だから(^^;;)、尊敬できる人は多かった。 大学合唱界は全体としてマニアックで閉鎖的な傾向にあると思うけれど、一人の大学生が入る世界としては、結構広いんじゃないかな、と今にして思う。
 美術でも音楽でもたぶんそれ以外の世界でも、自分の道を作り出して進む人は、かっこいい。さて、私は?(笑)

2005/05/12  ひどすぎる

 2時間に1回どころではない。1時間に1回以上行ける。そんな気がする。
 座るときも、立つときも、常に鈍い痛みを伴う。
 ありえない…。
 明日治らなかったら、土曜には医者行くか…。おれがいったい何をしたというのか…。
 はぁ…。

2005/05/11  ひどい風邪

 ひどい風邪を引いた。全身に激しい神経痛、筋肉痛があり、悪寒が体を震わせ、食欲不振(私には珍しい)、極めつけは激しい下痢。 昨夜はろくに眠れず、のた打ち回り、今日の仕事中、2時間に一度はトイレに駆け込んでいるような状態だ。研修講義中には寝て怒られるし、 本当にろくな日じゃなかった。
 この風邪の原因は、ひょっとしたら一昨日深夜に格闘した(?)蚊にあるのではないだろうか。そう、マラリアである。 いや、別にマラリアじゃなくていいのだが、なんにせよ、あの日あちこち蚊に刺されて深夜に目を覚まして以来、体の調子がいい瞬間がないのだ。 彼が何か良からぬ病原菌を私の体内に注入した気がしてならない。普通なら喉からやられるところが、全く痛くなく、うがいもさっぱり効果がなく、 いきなり全身に来た。激しい下痢により腸も胃も慢性的に痛いし、いったい私が何をしたというのか。
 まだ10時前だけど、もう寝よう。明日もこんな一日なんて勘弁だ。

2005/05/09(深夜)  蚊

 それは眠りについてから、まだ1時間半しか経っていない頃だった。なぜだかわからずに急に目が覚めた。私にとってこんなことは熱がある時くらいしかないので、 初めは体調が悪いのかと思った。実際少しだるかった。しばらくすると体のあちこち5箇所以上に違和感を覚えた。
 かゆい!!!!!
 サイズは似たようなものだが、やや羽が立派で色も茶色系なので、どうやら見た目からして蚊ではないが、なんていう虫かわからないので、便宜上蚊としておく。
 今年も彼らに眠りを妨げられるシーズンが来たかと思うと多少うんざりするが、それより彼を倒さないと私に眠りはない。息を潜めてじっと、現れるのを待つことにした。
 眠い。
 どこにいるんだろう?
 まったく気配を感じない。
 もう寝ようかなー。
 布団をかぶりかけた。
 …いた!
 しかし私の手はあいにく空振りをする。
 視線では追いかける。追いかけるが…。
 いない。
 そっちの方に行ったのに、目視も出来なければ、気配もしない。
 やや納得できないが、あきらめて再び待つ。
 あ!
 彼は低空飛行を続け、私の視野をかすかにかする。
 しかし、またもや目標をlost。
 窓にぶつかったはずなのに、そこまでは見えているのに、次の瞬間見えなくなってしまう。
 窓の方を見ても彼の姿は確認できず。
 これは実は蚊ではないのか!?という考えが頭を掠める。
 そう、ペンタゴンは密かにテレポーテーション技術を開発し、蚊のサイズの無人探査機にそれを搭載したのだ。
 核融合により半永久的にエネルギーは持続される。
 しかし、ひとつわからないことがある。
 私にいったい何があって、彼を送り込まれなければならないのか。
 昨日赤血球と白血球の勉強を8時間ほどしたのが、そんなに脅威なのか。
 やっぱりカリスマ溢れる稀代の画家なのか。
 彼は出てこない。
 まぶたが重くなってきた。
 これだけさされたなら、もう彼はエネルギーを十分補給したのではないか。
 寝てもいいんじゃないか。
 寝ようか。
 寝よう。
 顔をさされたら嫌だなぁ。
 でも寝よう。
 作戦放棄だ。
 明日起きたらどうなってようが、明日考えればいいさ。
 ぱちん。(電気を消す音)
 …この間、およそ1時間。

2005/05/09  味噌汁

 昼食のときに、味噌汁をこぼした。せっかく昨日クリーニングからおろしたばかりのスーツが、 元は大豆であったのだろう白い細かな粒子によって、点々まみれになってしまった。
 しかしまったく慌なかった。心はぴくりとも動じなかった。ぶっちゃけ、どうでもよかった。私という一人の人間が昼食に味噌汁をこぼしているところを、見ていた。
 とりあえず先輩社員の方がタオルをくれたので、拭いた。心情的にはどうでもよかったが、見た目はかっこ悪いから、きれいに拭きたかった。 起立性蛋白質だと思われたくなかったのも一枚噛んだ。
 注文したものが来るのはかなり遅かった。しかも私が頼んだものは私のいるテーブルで一番最後だった。かといって苛立ちもしなかったが、 もちろんいい気もしなかった。
 しかし鮪の竜田揚げ定食はとても旨かった。以前は嫌いだったマヨネーズをべったりつけて食べてやった。思いのほか、旨かった。 味噌汁は半分くらいは入っていた。これもなかなかの味だった。
 …今の私は人間形成上、通過点だと思う。よく聞くような言葉だが(実際にはあまり聞かないような気がするが)、それはそうだろうと思う。
 それとは無関係なことだが、周りから見える私という一人の人間は、わかりづらく、扱いづらいものかもしれない、と今日なんとなく思った。

2005/05/08  一人カラオケ

 世間にある言葉ではない気がするが、最近よく一人でカラオケに行くので、その行為を勝手に「一人カラオケ」と呼んでいる。 省略形は今のところ存在せず、「一人カラオケに行く」などといった極めて自然を装ってこの言葉を使っている。この微妙な表現からもわかるように、 これが慣れるまではかなり恥ずかしい行為に思えて、カラオケの前を行ったり来たりしたこともあったが、店内をよく見ていると、 意外に一人で来る客というのは珍しくないようだ。
 とは言っても、別に私は一緒にカラオケに行く友達がいないわけでもない。あれだけ卒業まで合唱をしていたにもかかわらず、 大学を卒業した今、歌うことの出来る場所と時間のなさに、危機感を覚えているわけだ。3月にプロゴーが終わってからも、卒業後も、 プロゴーのメンバーに声をかけて街角でバーバーショップを歌うグループのようなものを作ったのだが、この練習が毎回4人のカルテット状態で、 各人の実力がモロにバレる。私以外の常連の3人は全員指揮を振ることが出来るくらいの実力者たちなので、 こっそりセカンド・テナーのパート員として気持ちよくなっていた私には、歌うたびにかなりのプレッシャーとコンプレックスがつきまとうが、 それだけに今になってかつてないほど向上心に溢れている。私はテナーをやっているので、ファルセット(裏声)での参加となり、 これまで本気では使っていなかったファルセットは、1時間ほどで体力切れをおこしてしまうことがままある。声も筋肉から成り立っているので、 いじめればいじめるほど伸びるだろうと、ひたすら一人カラオケでキーの高い歌を叫び続けているわけだ。
 だいたい練習を含めて週に2回はちゃんと喉を苦しめないと、筋肉が衰退していく感覚に捉われるので、今日も一人カラオケに行ってきた。 全部で1時間半で、曲目は次の通りだ。
・Perfume of Love/globe
・Can't Stop Fallin' in Love/globe
・Depertures/globe
・Face/globe
・銀の竜の背に乗って/中島みゆき
・時には昔の話を/加藤登紀子
・魂のルフラン/高橋洋子
・THANATOS/?
・Colors/宇多田ヒカル
・Traveling/宇多田ヒカル
・君ヲ思フ/元ちとせ
・Calling/B'z
・瞳を閉じて/平井堅
・Rusty Nail/X-Japan
・Dahlia/X-Japan
・Forever Love/X-Japan
全て原キーなので音域には差があるが、最近はglobeくらいの高さの方が楽な傾向にある。高めの男声や低めの女声の曲の方が、 実声音域が混ざり、低めのファルセットを織り交ぜるので、歌うのが難しく喉にも負担がかかる。とはいえ、今日はだいぶ調子が良いほうで、 調子の悪い日だったら、globeを2曲も歌ったら撃沈してしまう。その日が練習の日だったら、と思うとゾッとするが、体調と喉の調子は一致しなく、 私自身にもよくわからない。徹カラの後の方が、出しやすかったり体力的に長持ちしたりする。恐らく筋肉のほぐれ具合が影響しているのだろうが、 声というのは難しいものだ。
 今日気づいたことがひとつある。中音域から高音域に音程がある場合、息を多めにつかってややハスキー(?)なくらいの声を使った方が、 スムーズにつながり、音程もブレないし、疲れない。長く歌う時や、実声音域の狭い私が平井堅などを歌う時には必須の技術だと思うが、 以前よりましになったとはいえ、まだそういう声だと発声量がそこまで出ないので、高音域と合わせてそのあたりの音域も鍛えていく必要があるように感じた。
 もっと高い声を出せるようになりたい。目標はあくまで高く、Grand high Cを目指そう!…今はまだhigh Gが限界だけれど(^^;;

2005/05/07  ホームページリニューアル

 お久しぶりです。長らく放置してあった私のサイトを、サーバー移転に伴い、また小まめにやっていこうかな、と思いを新たに完全リニューアルしました。 絵もそうありたいところですが、とりあえず日記から出来るだけ自分の思いを飾らずに書いていきたいと思いますので、 私のしょうもない文章が気に入ったりしちゃった方は、今後ともよろしくお願いします。
 作品の更新も以前よりしっかりやっていきたいなぁ。メインのはずの絵が、質・量共に写真に見るからに負けているのは、かなり悔しいところです。 もっと満足の行く作品を制作していきたい。自分で自分の作品を見ても、概念的にはいいセン行ってるのに、 どうしてこう詰めが甘かったり、描き込みが足りなかったりするかなぁ、と苛立ちを覚えます。
 今年は血液の勉強だったり、慣れない営業活動で、それどころではないかもしれませんが、これまで同様、 せめてセンスだけは敏感にしておいて、発想のレベルアップは図りたいところです。がんばらないように、がんばって、がんばらないでも、 がんばった以上のものを求めたい。絵は狂ったようにがんばってもかえってダメな気がします。日ごろの精神のあり方な気がします。 …遠回りな気もしますけど(^^;;